月刊バスケットボール6月号

Bリーグ

2024.03.20

北卓也GMと佐藤賢次HC、タッグ結成22季目の名コンビがお互いの関係性を語る

川崎ブレイブサンダースの北卓也GMと佐藤賢次HCは、共に川崎の全身である東芝のOBであり、今季でフロントスタッフとしてコンビを組んで13季目を戦っている。そんな名コンビの2人に、現役時代を振り返ってもらいつつ、お互いの関係性やクラブの成長について聞いた。

※こちらのインタビューは『月刊バスケットボール2024年5月号』掲載内容のフルバージョンです。ご購入はこちら

※取材は2023年11月22日に実施

「北さんは兄貴分」「賢次はかわいい後輩」

──初めて会ったときのお互いの印象を教えてください。

佐藤 チームメイトになった頃の北さんはすでに東芝の柱だったので、話し始めるまでは怖かったですよ。でも、話すと優しくて、シューティングもよく一緒にしていましたしね。

北 賢次が入ってきたのは2000年に優勝した2年後でした。当時はセツ(節政貴弘)や山中健一といったPGがいたのですが、賢次がどんな選手かというのはあまり知らなかったんですよね。母校の試合は見るのですが、ほかの大学の試合はあまり見ていなかったで。でも、PGとして真面目で一生懸命に頑張る選手だなと思っていましたね。

──仲良くなった後はどのような関係性でしたか?

佐藤 よく飲みにも連れて行ってもらいましたし、お世話になりっぱなしでしたね。その分、今度は僕が今の子たちに返していかないとなと思っているところです(笑)。でも、最初はそこまで密な関係ではなかったですよね?

北 そうだね。選手何人かで時間を見付けてゴルフに行ったりはしていましたが、バスケ面では僕と賢次はポジションも違ったので、かわいい後輩みたいな感じですね。選手時代からコーチをやって、今に至る僕らのような関係の人は、今は特になかなかいないんじゃないと思いますよ。

佐藤 今の川崎の選手でも僕らに近い関係の選手はいないかもしれませんね。

北 時代も変わりましたしね。僕らが現役の頃はよく飲みにも行きましたが、今となっては選手は有名人ですから、簡単に外は出歩けません。

佐藤 確かにそうですね(笑)。北さんは練習中はすごく厳しかったし、ちょっとでも手を抜いたり、ディフェンスで簡単に相手にやられると「今の何?」と、すぐに怒られました。そういうことがあると『ヤバいな…』と思うんですけど、でも、練習が終わるとシューティングに付き合ってくれるし、何かあれば飲みにも誘ってくれる。セツさんにもお世話になったし、僕としては兄貴分でしたね。

──記憶に残る出来事などはありましたか?

北 何かの映像でバッチリ残っているのですが、天皇杯で優勝した試合で、賢次がスティールをしたボールをセツにつないで、最後に僕がシュートを決めた場面があったのですが、そのシーンはすごく記憶にありますね。賢次とは何年一緒にプレーしたんだっけ?

佐藤 6年ですね。でも、その後もずっと一緒だったので、本当に長いですよね。

──北GMが現役引退後はコーチと選手の関係になりました。お互いの関係性はどう変化しましたか?

佐藤 その期間はちょっと距離があったと思いますね。立場も役割も変わったので、一緒にご飯に行くこともほぼなかったと思います。

北 そうだね。さすがにコーチから選手に「飲みに行くぞ!」とは言えないからね(笑)。当時僕はアシスタントコーチで、選手との仲介役のような立場でもあったので、何かあれば声はかけるようにはしていましたが、それでもどこかで一線引かなければいけないという思いはありましたね。

佐藤 でも、北さん自体は変わらなかったです。

北 賢次は東芝のキャプテンもやっていたのですが、青山学院大時代からキャプテンシーはあったし、それはコーチとして見たときも変わらず高いなと感じましたね。賢次に言えばほかの選手にも伝えてくれるという信頼感がありました。

──佐藤HCにとって、北GMはどんな指導者でしたか?

佐藤 もちろん、メインはヘッドコーチなので、北さんはアシスタントコーチとして下からチームを支えてくれていました。本当はもっと言いたいことがあるんだろうなとは感じていましたけど、そこはバランスを取りながら、ヘッドコーチを立てながらサポートしてくださいました。それこそ、チームのためにと苦手な映像編集作業もやってくれていたので、本当はそっちが大変なんだろうなとも思っていました(笑)。でも、僕は「ここぞ」というときの立ち回り方が下手だったので、そういうときは頼りにしていました。
 あと、現役最後の年は結構試合にも使ってもらえたのですが、2月くらいにヘトヘトになってしまって。時間的には平均20分くらいでしたが、毎試合全力でやっていたので、本当に疲れてしまったんですよね。それで北さんに相談したんです。北さんは晩年でも毎週35分近く試合に出ていたので「こういう疲れたときってどうしていましたか?」と。そうしたら「疲れるとか、よく分からない」と返ってきたんですよ(笑)。

北 そうだった、そうだった(笑)。

佐藤 改めて北さんのすごさを感じましたね。

──佐藤HCが現役引退後には、ヘッドコーチとアシスタントコーチという立場にもなりました。


佐藤 まずは、飲みに行く回数が増えました(笑)。時々、真面目な話もしますが、そういう場だからこそ、他愛ない話をしてお互いの関係性を構築していくようなイメージですよね。お酒の席ではずっと場を盛り上げてくれるんですよ、北さんは。

北 なぜ賢次をアシスタントコーチにしたかというと、僕に持っていないものを持っていると思ったからです。僕は結構厳しいしカッとなりやすいので、そこは賢次がチームをまとめてくれていました。極論、わざと強く怒ることもあったんですよね。そういうときには賢次に「絶対にフォローしてあげてくれよ」と頼んでいましたし、そういう良い関係性があった上で飲みにも誘っていましたから。そういう場なら言いたいこともより深く話せるだろうし、コーチ業はストレスも大きいので、リフレッシュにもなります。で、賢次は誘ったらちゃんと来てくれるんですよ。

佐藤 そうでしたね(笑)。

北 当時のアシスタントコーチは僕も苦戦した映像編集などの仕事が結構あったんですよ。でも、賢次は誘ったら来てくれたんです(笑)。遠征先などではバスケの話が多かったり、いろいろ話しますね。

佐藤 仕事についても、「それはそれ、これはこれ」とちゃんと分けていたので大丈夫でした。

北 賢次はね、映像編集がめちゃくちゃ上手だったんですよ。

佐藤 映像編集の作業って、どこまで突き詰めるかという点では自分次第なところがあるんですよ。そして、考えれば考えるほど、自分の首を絞めていく(笑)。その線引きをどうするかが大切でしたね。


写真/山岡邦彦、取材・文/堀内涼(月刊バスケットボール)

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